クール・ジャパノロジー/仮定法過去への旅

こんにちは。アメリカから帰ってきた東浩紀です。といっても、もう帰国して3日も経っているのですが。
アメリカにいたときは書きたいことがたくさんあったのですが、いざブログに書こうとするとたいへんな時間がかかりそうです。じつは時間節約のためにもうこうなったらニコ二コ動画でいいやと思って、ニューヨークに滞在していたとき、遊園地が廃園になったばかりのコニーアイランドに行って、寒風吹きすさぶ浜辺でザクティでアメリカルポを撮影したりもしてみたのです。自分ひとりで。
しかしこれが、あとで聴き直したら風が強すぎて重要な箇所がまったく聴き取れない! やむなく投稿を断念しました。
ちなみに下がその自撮り写真。なんやってんだか。マジで風強いです。背後に見えるのが「ワンダーホイール」という有名な木製観覧車です。


というわけで、しかたないのでブログで報告します。
もろもろのディテールを省略して要点だけ述べると、今回、多くの英語圏の学者に会い、何日も宮台さんと議論するなかでぼくが考えたのは、つぎのようなことです。
(1)クール・ジャパンというキャッチフレーズはあながち冗談ではなく、英語圏の日本学者もポップ・カルチャーへの関心をかなり高めている。少なくとも、日本について考えるうえで無視できない存在だということは認識され始めている*1。(2)しかし他方で、英語圏の日本学には、いまだに冷戦構造時の思想的な枠組みや伝統的な日本趣味がたぶんに残っていて、日本文化の現状に対応できないでいる。(3)その結果、日本では知られていない学者が英語圏では権威としてふるまっていたり、日本ではあまり話題になっていない作品や現象がクール・ジャパンの象徴としてもちあげられていたりする*2。(4)しかしこの歪みは、決して英語圏側の関心の偏りだけによるものではなく、たぶんに日本側の情報発信体制に起因している*3。(5)したがってそこは改善する必要があるだろう*4
ぼくの読者であればご存知のように、ぼくは数年前にもこういうことは考えていました。英語圏での批評史の紹介は「批評空間」で止まっている、相手は宮台真司オウム真理教2ちゃんねるも知らない、それじゃあ国際交流とか行ってもなにも実質的な話に入れない、最低限の情報発信を日本の論壇は怠っているのではないか――そんなことを、3年前の「論座」に書いた記憶があります*5。ただ、そのことを最近は忘れていた。しかし、今回の旅行でそれを思い出したわけです。それも思い出しただけではない。今回は行動しようと思ったわけです。
ところで、このように書くと誤解されるかもしれないので急いで付け加えますが、以上の感想は、ぼくと宮台さんの講演がアメリカで「理解されなかった」ことを意味するのではありません。事態はそのまったく逆で、今回の旅行では、ぼくと宮台さんの話――その中核は、簡単にいえば日本のサブカルチャーがもつ「ネタ」的な機能、難しく言えば階級的格差の中立化機能ですが――は驚くほど的確に「理解された」のです。
いや、そうなのです。おそらくは、いまのブログ論壇だかゼロ年代だかでわさわさやっている議論も、手続きさえ踏めば十分に理解される。その背景には、やはり、この10年間で国内的にも国際的にも大きく様変わりした日本のポップ・カルチャーを取り巻く状況があります。その感触を得たからこそ、ぼくたちは、英語圏の日本学のパラダイムや日本への関心がグローバルで、ぼくや宮台さんのやっていることがローカルで、あいだに断絶があるというのではなく、これは単純に情報の流通の歪みの問題なのであり、それを改善すればたがいにとって刺激的な状況が作れるのではないか、という希望をもったのでした。
帰国してまだ数日しか経っていませんが、ぼくと宮台さんはいま、日本研究の新しいパラダイム――冗談半分に「クール・ジャパノロジー」とでも名づけておきますが――を議論する、共同研究計画や国際シンポジウムの開催、そして英語版での論集の編纂について、具体的に動き出しています。
ここからさきは、予算獲得そのほか、単純に世俗的な問題でしかありません*6。うまくいったらお知らせします。報告がなかったら、官僚制に負け予算獲得に失敗したのだ、ぐらいに考えてください(笑)。その可能性も十分にあります。実際、日本の政府自身が、海外からの日本趣味的な視線を内面化し、そのような企画にしか予算を回さないという問題もあるのです。たとえば、日本の純文学作家には翻訳助成金が出るけれど、批評家には出ないらしいのです*7

……とまあ、なんとなく書き散らしましたが、講演旅行の成果はこんな感じです。
考えてみれば、ぼくは1996年にコロンビア大学に留学しようとして、失敗して日本にいる人間でもありました。オタク史的に言えばちょうど『エヴァンゲリオン』のテレビ放映が終わったころです。あのときもしコロンビアに合格していたらぼくは喜んでアメリカに行ったはずで(そして柄谷行人さんとの関係も良好に続いたはずで)、おそらくそのあとの人生はまったく変わっていたことでしょう。そういう点で、英語圏の日本学の風景というのは、ぼくにとってまさに「実現しなかった人生」そのものでもあります。
今回の旅行は、自分の過去、というか仮定法過去を発見する旅でもありました。

*1:ちなみにぼくは3年前にもアメリカに行ったのですが、そのころとは状況はさまがわりしている印象でした。なんといっても、涼宮ハルヒとかケータイ小説とかいった名前が――名前だけは――通じはじめている。これはそんなにあたりまえの状況ではありません。学者はどこの国でも、基本的に若者文化なんてバカにしているものだからです。

*2:ちなみにもっと率直に言えば、そこでブローカー的な動きをしている人物も日本人・外国人問わず多々いるわけです。日本のポップ・カルチャーの最先端だと称して、見当外れなものばかり紹介している編集者とかキュレイターとか。そしてまたその視線を逆輸入して、見当外れな特集をしている雑誌とか美術館とか。ぼくはつねづね言っているのだけど、村上隆の業績はまさにそこで彼自身が決定権を握ったことにある。彼以前は、いや彼以降も、たいていの日本の美術家は、海外からブローカーがやってきて「こいついいね」と言ってくれるのを待つだけだった。しかし彼は、彼自身がルールを作って海外に乗り出していった。村上さんは毀誉褒貶が激しいひとだし――たとえば彼自身がブローカーなのではないかという非難はむろん可能でしょう――、その理由はぼくもわからないではないけれど、この点だけは絶対的に評価すべきだと思います。

*3:たとえば具体的にはこういうことです。今回の旅行の中で印象的に残った台詞がある。ある学者さんが言うわけです。「日本で村上春樹が純文学として扱われているとは信じられない。こちらに来る日本の作家はみな村上春樹はダメだと言う」。おいおい、それはそういう作家さんだけ選んで招聘しているからだって!w しかしそれは同時に、日本の文化庁国際交流基金やそのほかそのほかが、そういう作家ばかりを海外に送り出していることも意味しているわけです。だから日本側の問題でもある。

*4:こういうことを言うと、必ずツッコミのためのツッコミで、「文化の問題を考えるときに日本側とアメリカ側とか、そういうこと考えるのがナンセンスなんじゃないかなあ」とか書くひとがいるわけですが、そういうひとはぼくの文章は読まなくてよろしい。ぼくがここで述べているのは、文化の理念の問題ではなく、具体的な制度、ぶっちゃけて言えばヒトとカネの動きの問題です。あと、そもそも日本学とかいう枠組みがトンチンカンなんじゃないの、というひとは、アメリカに行って英語圏のひとにその疑問をぶつけてください。それは厳然として存在します。

*5:『文学環境論集』所収。

*6:だれか予算配分権をもっているひとで興味のあるひとがいたら連絡をください。w

*7:動物化するポストモダン』の仏訳のときにエージェントが申請を出してわかりました。ぼくが伝聞で聞いたところによれば、原則的に虚構作品にしか助成金は出せないとのこと。もしその伝聞が正しいのだとすれば、これはつまり、日本の政府自身が、日本人はあくまでも「美的対象」を作るものであり「思想」を作るものではない、つまりは黙々と作品を作ればいいのであり、別になにも意見を発信する必要はないと考えていることを意味しています。しかし、そんなんでいいんでしょうか。