本当に寝る

これから本当に寝るので、その前にメモ。
http://ellington.gel.sfc.keio.ac.jp/nsly/mt/ns/000760.html
そのとおり。自己言及的であるとは、自分が何者なのかはっきりさせることである。それは一見「厳密」なように見えるが、また同時に、内部と外部、味方と敵の境界をはっきりさせることでもある。ただシンプルに何も考えずコミュニケーションしていれば生産的なのに、いつのまにか、自分たちが何ものなのかの定義に絡めとられ、ぐるぐると自己回転してしまう。そういう現象はネットの外でも多い。たとえば、SFとは何かとか、ミステリとは何かとか、オタクとは何かとか。僕のもともといた業界の話で言えば、批評とは何か、とか。だれが批評家の名に価するのか、とか。
批評とは何だったかとか、SFとは何だったかとか、ミステリとは何だったとか、オタクとは何だったか、とかの議論には意味がある。しかし、現在形の問いは限りなく「べき」論に近い。それは、問い(コンスタティブ)ではなく、敵味方を分けるための戦術(パフォーマティブ)でしかない。そんな議論は何の役にもたたない。だから僕は批評空間のグループから離れた。そして、人々が批評家、すなわちメタ言説のプレイヤーを生理的に警戒する理由もそこにあると考える。僕はいまでも批評家だけど、というか、だからこそ、そのことはよく考える。