CLANNAD感想暫定版

こんばんは。CLANNADコンプから一日経った東浩紀です。
攻略サイトとスキップを駆使して、5月3日午前3時から5月4日午前2時まで、23時間ぶっ続けでプレイして何とか終わらせました。最後のほうは、頭のなかで何か薬物が出てるような感じでした。おかげで4日は、ふたたび一日中使い物になりませんでした。今年のGWは、SFセミナーCLANNADのトリプル徹夜で完全に消えたわけです。充実していたんだか、空しいんだか……。
詳しい感想をネットで書くとネタバレへの抗議が殺到しそうなので、ここでは控えますが、AIRのテーマが父の不在を受け入れたうえでの人間関係の再構築だったとすれば(ちょっとそれっぽく書けば、いわゆる「パパ-ママ-ボクの三角形」=エディプスの三角形の不在を埋めるため、疑似母-疑似娘-カラスというもうひとつの三角形を捏造することがあの最後の章のテーマなのだ、というのが僕の考えなのですね。これもいつかどこかで書きます、というか多分ファウストで書きます)、CLANNADのテーマは完全にその逆を行っていると言えます。メッセージの保守性には率直に言って驚きましたが(そういえば「CLANNAD」とは「家族」の意味なんですが、憲法草案が載った3日の読売新聞朝刊にもでかでかと「家族」と書いてあって、何というか、感慨深かったですね)、その原因を含め、きわめて興味深い作品であることは間違いない。ひとことで言うと、そうか、ついにオタクが、オタク自ら父になれというメッセージを発し始めたか、というのが、現時点での感想です。
さて、そんな批評家くさい話は別として、元ネタ探しの続き。僕のぼんやりとした記憶によれば、主人公・朋也の自宅も、また、筑駒の近く、井の頭線駒場東大前駅南の住宅街(10年前の東大生が「コマシタ」と呼んでいた地域)の一角ではないかと思います。だれか探してみてください。
あと、まあ、こんなこと書いても仕方ないんだけど、このゲームでだれかと言われれば、風子しかないですね。かつての僕なら杏を選んだところなのですが(笑)。でも、このゲームは、萌えとか何とかいうのは超えちゃっている感じがします。