思想地図vol.3編集後記

思想地図3号、ぼちぼちと売れ始めているようです。ぼくのもとにも感想が寄せられ始めました。
さて、そんな3号のぼくの編集後記を以下に公開します。ご参考までに。
実際、ぼくは今号はけっこういいと思うのです。『思想地図』の試みをいままで警戒していたかたにも(笑)、ぜひ手にとっていただきたいと思います。

今号の内容には、第一号よりも第二号よりも満足している。かつて自分が見ていた「こんな批評誌が読みたい」という夢が、本誌ではほぼ実現している。
むろん細かくは後悔もある。たとえばシンポジウムはもっとうまく導けたかもしれない(あれでも限界までがんばったのだが)。アメリカルポにはもっと誌面を割いてもよかったのかもしれない(台割のタイミング的にこれ以上は無理だったのだが)。鼎談ももっと――いやいや、やはり後悔はない。欠点を見いだそうとしても、小さな問題ばかりだ。この編集後記を記すためにもういちどゲラを読み直し、ぼくはあらためて確信した。この号はいい。大成功だ!
――いや、まあ落ち着くとしよう。しかし今号の編集がとても刺激的で、また興奮する経験だったのはたしかだ。というのも、今号に収録されたテクストは、とりわけ、円城塔福嶋亮大鈴木謙介藤村龍至、安藤馨の五氏の論文および創作は、それぞれ異なった文脈で書かれているにもかかわらず、そして彼ら自身相互にほとんど面識もないにもかかわらず、内容的にみごとに呼応し響きあっているからである(福嶋は特集外の扱いだが問題意識は通底している)。
ぼくは職業的な編集者ではない。だからささやかな経験から言うにすぎない。しかしそれでも言わせてもらえば、ぼくは雑誌の編集とはつねに賭けだと考えている。たとえば特集を「アーキテクチャ」と設定する。そして執筆者の候補を選び出す。挑戦的な特集や目次であればあるほど、その成否は賭けとなる。執筆者は特集の意図を理解してくれないかもしれない。理解したとしても、問題意識が異なり読者を混乱させるかもしれない。結果がどうでるかは、じつは原稿が出揃うまでわからない。そして、ぼくは今回、円城からはじまり安藤の原稿を手にするまで(さきほどの順番はじつは原稿があがった順番なのだが)、まさに連戦連勝の興奮を味わった。アーキテクチャの特集は正解だった、この五人に原稿を依頼したのは正解だった、ほら、ここには、専門も分野も関係ない批評の戦線が作られているではないか――ぼくはそう感じたのだ。
むろん、そんなぼくの興奮と確信は、単なるひとりよがりかもしれない。最終的な成否は読者が判断すべきものだし、これでまったく話題にならなかったらぼくはいい面の皮だ。しかし、編者としてそのように感じたことは、ここに率直に記しておきたいと思う。
さて、すでにウェブサイトなどで告知しているように、続く次号もまた、今号に続いてぼくが編集を担当することになる。現在考えている特集名は「想像力の未来」。いまのぼくの計画では、第三号の特集と第四号の特集は双子のような関係に置かれ、現代社会の性格を、いわば一方は環境の側から、他方は実存の側から照射するような相補的な目次になるはずだ。
率直ついでに記してしまうと、編集過程でほとんど障害に出会わなかった今号とは異なり、その次号の企画、原稿依頼を始めた時点ですでにいくつか困難に出会っている。しかし他方では、それら障害をむしろ糧として、ますます大胆な特集に挑戦するべく新しい編集体制も整えている状況だ。いずれにせよ、今号の手応えを忘れず、次回も――2ちゃんねる的に言えば――「神」の目次を目指してがんばりたいと思う。第四号は秋の刊行予定。期待して待ってほしい。