シンポジウム満員御礼

こちらではおひさしぶり。東浩紀です。メインのブログがなぜか不調のため、こちらに投稿しておきます。はてな記法も忘れていました。

さて、東工大のシンポジウム、無事終了しました。パネリストのみなさん、ありがとうございました。とりわけ、体調が思わしくないにもかかわらず、3時間連続の討議につきあっていただけた磯崎さんには、いくら感謝してもしきれません。基調報告を行った濱野さん、宇野さんもご苦労さまでした。

内容のほう、討議の冒頭でいきなり浅田さんから「まったく新しくない」発言があり、続けて宮台さんから「このシンポジウムは失敗だ」宣言があって、お約束とはいえどんなシンポ潰しなのかと一時は頭を抱えましたがw、最終的には浅田さんも宮台さんもいい発言をしてくださり、刺激的なシンポジウムになったのではないかと思います。

ぼくの印象に残ったところだけコメントすれば、昨日のシンポジウムでは、後半、濱野くんの発表を受けてふたつのことが話題になっていたわけですが、(1)すべての履歴が残ること、(2)ふまじめさが公共性に繋がること、このふたつの特徴が情報環境にあるのはいいとして、では両者がどう関係しているのか。本当はそここそ議論しておもしろいところだと思います。ぼくとしては、この両者はともにデリダエクリチュールの問題のような気がしてなりません。

まあ、詳細は『思想地図』3号を見ていただくとして、下は懇親会でのスナップ写真。

うちの汐音の顔が強ばっているのは、なぜか宮台さんを怖がっていたから。彼のナンパオーラを動物的に直感したのかもしれません(笑)。

いずれにせよ、昨日は大岡山まで足を運ばれた方々、ありがとうございました。

あ、そうそう。入場者数をお知らせしておきます。講演会場は、映像だけ中継が行われた第二会場とともに、ともに満員で立ち見がぎっしりでした。メイン会場では、後ろのドアが立ち見で閉まらなかったらしく、一部のお客さんには寒い思いをさせてしまったようです。すみません。いずれにせよたいへんな盛況で、正確な数はまだわからないのですが、入場者は1000人を軽く超えていたとのこと。1200人という説もあります。アイドルコンサートみたいな数になってきました。

宮台さんには、「ゼロ年代の批評とか言われているものはニッチで公共性がない」と言われてしまいましたが、なにが公共的でなにが公共的でないのかよくわからないいま、言論の公共性を担保するためには、もはや読者数ぐらいしか拠り所がないような気がします(思想とか評論である以上限界があるとはいえ)。入場者1000人というのは、それなりに希望のもてる数字なのではないでしょうか。