考える・2

network styly* 経由、鈴木謙介氏のブログ。
http://www.socion.net/soul/index.php?blogid=1&archive=2003-10-22
charlie、ブログひとつにまとめろよ!面倒だよ!……とかいうツッコミはともかく、2ちゃん(形式=自己目的化)とはてな(内容=内輪化)の対比については、さすが、鈴木さん。明確です。これはやはり、シニシズムと動物性の対比でもあるんでしょうね。
ただ「内輪化」についてひとこと。このあいだの同村分析を見ても思ったのだが、実際のところ、はてなはそんなに内輪化しているのだろうか? 東浩紀村とかいうけど、同村以上と認定されたひとがそれほど多いわけでもない。むしろ、僕の実感では、現実の内輪化以上に、「内輪化している」という過剰な自意識のほうが進んでいる。しかもそういう言説は、はてなユーザーでないひとによっても語られている。だとすれば、「はてなは内輪化している」というのは、いまや、ユーザーの実感とも、ネットワーク分析の結果とも無関係な一種の神話というかステレオタイプになっていて、問題はむしろ「なぜ人々ははてなは内輪化していると言いたがるのか」なのではないか。そして、そのような視点こそが、実は、ブログがどうして日本で抵抗にあったのか、の理由の分析にも通じるんじゃないか。
要は、村社会というのは、決して「おれたち村を作りたい」というストレートな(動物的な?)欲望で作られるものではなく、「村ってキモいよね」とかいうシニカルな連中こそが実はいちばん村社会を作りやすくて、日本ではそういうシニカルさが妙に発達している、という話なんだけど。まあ、それはそれで、日本社会独特の個人主義というか懐疑主義や反権威主義の基盤になっているのでいちがいに否定できないんだけど、シニカルさの発達がある世代の生産性をかなり奪ってしまったことも事実。これは『動物化するポストモダン』とも、例の北田論文とも通じる話。もしかして、「ファウスト」にも繋がるかもしれない。
まあ、とはいえ、多くのユーザーにとってはこんな話は無関係なわけで、はてなのコミュニティはまだまだ成長しているようで何よりです。今後の切実な問題は、内輪化がどうとかいうことではなく、単純にインフラの整備なんだろうし。
ああ、またはてなについて書いてしまった……。