思い出す

http://d.hatena.ne.jp/KGV/20030929
で次のような記述を見つける。

なんでこんな昔の話をする気になったかと言うと四方田犬彦の『ハイスクール1968』(新潮)を読んだからで、村上龍の『69』同様、田舎でも東京でもこの時代の若者話はそれなりに面白いものだ。四方田の後輩である東浩紀が80年代後半の高校生活を語ったとしたらどうなるだろうか?2ページぐらいで終わってしまうのではないだろうか?
いえいえ。同世代の名誉のために記しておくが、貧しい青春は貧しい青春なりに200ページくらい語れます(笑)。2個上(だったかな?)のid:gonzapさんと共著にすれば500ページくらい行けるかもしれない。80年代末の東京はけっこう豊かなサブカルチャー空間で、天皇崩御とか宮崎事件とか大事件も多かった。まじめな話、僕はもともとフランス思想系のひとなので、パリ革命や全共闘についても追体験しようと試みたものだが、結論として68年の経験がそんなに特権的だとは思えない(笠井さんとの往復書簡参照)。だから東はダメなんだ、と言われれば、まあそうかもしれないけど。
ちなみに、僕は東京駒場にある筑波大学付属駒場高校出身で、四方田犬彦氏は10年以上先輩にあたる。四方田氏は、また、大学院時代バイトで講師をしていた三軒茶屋の小さな塾でも先輩にあたり、彼が院生時代に作った授業用のプリント(なんといったか忘れたが、針みたいなヤツで透明なシートに書いて原板を作るタイプの印刷で作られたワラ半紙のもの)を見せてもらったこともある。とてもていねいなプリントだった。
いずれにせよ、だれにとっても若いころは特権的な時間だし、最近ある世代の人々がこぞって1970年近辺について語りだし、別の世代がその10年後について語りだしたように、おそらく1990年近辺について熱く語るひとも近いうちに現れるだろう。そしてまた現在についても。
とはいえ、それがどの時代で、どれほどすぐれた語り口だったにしろ、昔話を始めるようになると同世代以外には単純にイタい文章にしかみえない、しかもその「世代」なるものはどんどん細分化されていくというのが、KGVさんが引いてもいる「Invitation」事件の教訓ではなかろうか。自戒自戒。
ところで、
http://d.hatena.ne.jp/KGV/20030927
のコメント欄への反論。高橋留美子は神ですが、しかし僕はアニメのラムちゃんも好きでしたね! ええ! やまざきかずおの作画とかいいじゃないですか! 違いますか! ま、僕はしのぶ萌えですけどね……(「動ポモ」の定義によればこの用法は間違い)。