なんじゃ、そりゃ……
ひさしぶりに本気で不愉快なことがあったので詳細を伏せて書きます。
ある出版社より、ある話題について新シリーズを立ち上げるので打ち合わせをしたい、とメールが来ました。いやな予感がしたのでスルーしていたのですが、何度も手紙をいただくので打ち合わせ内容を問い合わせました。
すると回答が、「思想地図を編集している東さんにぜひシリーズの新しい書き手の推薦をお願いしたい」とのもの。この時点でもすでに、おいおい、書き手を捜すのが編集者の仕事だろう、と半ば呆れていたのですが、添付された企画書を見て驚愕。
当該の新シリーズにはちゃんと別に「アドバイザー」がいて、そこにはぼくは入っておらず、5人近い大学の先生がずらりと並んでいるのです。
おいおい、この出版社は、アドバイザーにはエラい先生を並べておいて、おれにはコーヒー一杯で書き手を推薦させて終わりなのかよ?と怒りを通り越して悲しくなりました。
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とまあこんなことを書くと、アドバイザーに挙げられてなかったので嫉妬だろうとかいうひとがいそうですが、問題はそういうことではありません。
だれが有望な若い書き手で、どのひとがこれから伸びる才能なのか、そしてその才能をどの媒体で使うのがよいのか、それはとても貴重な情報です。そしてまた同時に、その情報をいかに使うかで若者の人生が決まるという点では、かなりセンシティブに扱うべき情報でもある。
しかし、シリーズ・アドバイザーがほかにいるということは、ぼくがだれかを推薦してもそのあとの展開に責任が取れないということです。そもそも推薦はそのアドバイザーが行うべきで、逆にそれらアドバイザーが使えないなら彼らを解任するべきでしょう。それにそれ以前に、そういった人選は初対面の編集者とちょっと話すといった話題ではない。そんなことをしたら、だれよりも若い書き手に無責任です。
新しい書き手の人選といったセンシティブな情報が、推薦者に相応の責任も発生させずに、コーヒー一杯で使い捨てでやりとりできると思っていること。ぼくはそのことに呆れ果てているのです。
むろん、その編集者さんに悪気はないのでしょう。けれども、それだけにぼくにはその感覚の杜撰さが耐えられません。そんなことをやっているから、思想とか批評とかの世界から一時期若い書き手がごっそり消えたのです。
ぼくはこういう編集者とは決して仕事はしません。