グーグル問題

多くの書き手が同じ経験をしていると思うのですが、この一月ほど、例のグーグル和解問題について各出版社より立て続けに書面が送られてきています。そのいずれもが、「今回のグーグルのやりかたは承服しがたいが参加するほかない」という意見になっていて、なるほどこれがアーキテクチャの権力ってやつか、とかぼんやり思っていたら、講談社より名指して「あなたの著書がスキャン対象に入っています」と通知が来てしまいました。
具体的な書名があがると興味のレベルもいちだんとあがるもので、あらためてもろもろ調べてみましたが、たぶんぼくは和解拒否の申し立てはしません。
というわけで、『ゲーム的リアリズムの誕生』の(最大)20%は、そのうちグーグルで無償で閲覧できるようになる予定です。この本、当然日本では市販中なのですが(このあいだ増刷したばかり)、アメリカ国内では普通は手に入らないので「品切れ」扱いとされ、公共の福祉に資するべくスキャンされちまったわけです。
それにしても、こんなふうにいろんな本の20%が無償閲覧できるようになると、きっとその20%しか読まないで本を参照したり批判したりする読者がどっと増えることでしょう。
それはある意味で、ウィキペディア依存問題よりもはるかに深刻な事態です。なんといってもとりあえずは原典にあたっていると言えるわけだから、より性質が悪い。本を読むというのはきちんと最初から最後まで読むことなのだ、あらゆる文章がマッシュアップの素材なわけではないのだ、という「常識」を、グーグル以降の世代にどれほど説得的に伝えられるか。正直言って、あまり自信がありません。
それに、公開する20%の範囲ってどうやって決めるのだろう。グーグルは世界中の言語の本をスキャンしているはずだから、きっといちいち内容など読まないで、それこそ「数学的」に自動的に決めるんでしょう。そしてそんな適当な範囲確定が、ネット上での作家の評判を左右してしまう。アナーキーすぎますね。