波状言論3月号■森川嘉一郎コラム■抜粋

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 ヴェネチア・ビエンナーレは国内ではともかく、国際的にはかなり名が通った権威的な催しである。八年前に下働きに参加した経験で、そのことはよく知っていた。その日本館の展示を好きに組織してよいというのだから、私はこの指名をありがたく受けることにした。2004年9月から11月にかけて開催される、第9回国際建築展である。
 コミッショナーの役割は、展示のコンセプトをつくり、展示空間の大まかなレイアウトを策定した上で、参加するアーティストや建築家を選定し、出品交渉をすることである。ビエンナーレ建築展は美術展と同様に、ヴェネチア東端のカステッロ公園内に各国が常設している国別パビリオンが主要な会場となる。展示物は、出品する建築家の建築作品の模型や図面、完成予想図などが中心となる。もっともここ数回は、作家展というよりはテーマ展の色彩が強い、インスタレーション風の展示が増えている。
 前述したように、私は指名されたとき、『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』をコンセプトにしてはどうか、という提案を併せて受けていた。別のテーマを主張する理由もなかったので、展示は秋葉原の都市風景を中心に据えたものになるはずだった。
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 ならば秋葉原を変えた、まさにその人格の方をテーマにした方がよいだろうと、主客を転倒させることにした。
 この場合の人格とは、すなわち〈おたく〉である。
 通常は〈おたく〉というと、アニメやゲームなどを中心とするポップカルチャーの一派や、それを愛好する一群の若者たちを指す。しかし同時にわれわれは、おたくの個室に関しても、ある種のイメージを共有している。万年床の周りにマンガやビデオテープが山積し、モニターにはアニメ絵の美少女が映し出されている、そのような空間である。一般の美意識とは異なる空間原理で、そこは構成されている。
 つまり〈おたく〉という言葉は、空間の状態に関するイメージをも内包しているのである。その状態が、秋葉原では都市空間にまで拡張された。これを下敷きとして、〈おたく〉を、空間から都市まで横断する〈概念〉として提示できないか。
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