clannad as 18-20

こんばんは。仮面ライダーディケイドを見て、おいおい、結局ライダーもセカイ系のループのデータベースになってるじゃないか、宇野理論(「セカイ系は終わった、なぜならばライダーはサバイブでバトルロワイヤルだから」理論)はどうなったんだよ、とか思っている東浩紀です。ちなみに、平成ライダーシリーズについては、アギトを全話見終わり龍騎に移行しました。着々と見ていく予定です。
さて、1ヶ月ぐらい前のエントリーでCLANNAD AFTER STORYの16話を絶賛したぼくですが、じつはそのあといろいろ忙しくてここ3週間ほど放映を見ていませんでした。それで今日、『思想地図』の鼎談アンド飲み会が終わったあと(だれと鼎談したかはそのうち公式サイトでレポが出るはずです)、帰宅したら家族が寝静まっていたので3話連続で見てみました。それで感想。
ひとことで言うと、ぼくは18話と19話はあまり好きではなかったです。というのも、ぼくは実際に幼い娘をもっている数少ないCLANNADファンだと自負しているのですが、そんな観点で見ると、5歳児の汐の台詞がちょっと軽すぎる。むろん、うちの汐音(汐じゃなくて)は3歳だし、子どもによって性格のちがいもあるだろうから一概にリアリティがないとは断言できないのですが、なんといえばいいんでしょう、幼稚園児の娘に言わせてもっと切なくなる台詞回しや口調はほかにあるかなーという印象を受けました。
他方で20話はいいと思います。その理由は(ぼくの読者であれば想定どおり)風子の活躍による。そもそもぼくはもともと、CLANNADは渚と風子(と汐)に尽きると思っていて、その3人が仮想的に一部屋に集まった場面には感無量なものがありました。あれはたしか原作にはない場面なので(ですよね?――記憶違いならすみません)、風子をあのように使ってくれたのはぼく的にはきわめて嬉しい。ちなみにぼくは渚と風子のつぎに杏が好きなので、その点でもいい感じの展開になっているのですが、まあこんなこと書いてもしかたないですね。いずれにせよ21話ではいよいよ汐がハードな展開になるようなので、それをどう処理するか、また見所ではあると思います。楽しみです。
――と適当に酔っぱらった勢いで書き連ねているわけですが、実際ぼくはまじめにCLANNADはいま注目すべき作品だと思っていて、それはなぜかといえば、セカイ系の隘路をどのように抜け出すか、その問題についてセカイ系の代表みたいな作品こそがいま懸命に答えようとしている、そういう現場がここにある感じがするからです。むろん、それは大した結果にならないかもしれない。しかし、たとえば一方でナギ様が処女かどうか問題とかで一部のオタクが騒いでいる傍らで、渚に粛々とセックスさせ出産させ、さなえ早苗−渚−汐の3世代にオタクどもを同時に萌えさせるなどというアクロバットに挑戦しているKey/京アニはやっぱりすごいと思わざるをえない。そう思いませんか?
一部の読者しかわからないネタですみませんでした。