暗くなる

それで上記「ファウスト・フェスティバル 2003」だが、来場者のみなさんは喜んで帰ってくれただろうか。はてなを見るかぎりその点は何とかなったようで一安心なのだが、僕的には、実はかなり拍子抜け、というか、会場に業界関係者の数がきわめて少なかったことに衝撃を受け、2次会会場では泥酔してしまった(そして昨日は1日二日酔いで頭が痛かった)。僕が見逃しているだけなのかもしれないが、文芸記者や編集者や評論家はほとんど会場に来ていなかったのではないか。飲み仲間の作家が新刊を出せば大騒ぎでトークショーにかけつけるくせに、なぜこのイベントに来ないのだ。
と怒りを覚えるとともに、自らの弱さにも歯痒いものを感じる。ゲームとテキストサイトから出てきた新しい文学の胎動、などと大騒ぎをしたところで、既存の小説業界に何の波紋も与えないのであれば、それは年少世代が内輪の学園祭をやって喜んでいるにすぎない。「ファウスト」はただでさえそう思われがちなのだから、出版後のいまこそ、そういう誤解を避けるために最大限の努力をしなければならない。しかし、あのイベントはそういうものにはならなかった。そして、そのような年上対策は僕担当だったように思うから、これは要は僕の力不足なのだろう。というわけで、いま僕はいささか暗い。来場者の7割が1980年以降の生まれですね〜、などと喜んでいる場合ではないのだ。
とはいえ、純文学関係者に対してだけ言えば、舞城王太郎三島賞を取ったといって大騒ぎをし、佐藤友哉芥川賞を取らせようと画策をめぐらせるわりに、今回のようなトークショーひとつ顔を出さない記者や編集者は、サブカルのおこぼれに群がるハイエナと変わらないと言われても仕方ないと思う。だれが小説を読みたいと思い、書きたいと思っているのか、そして、文学とは何なのか、人々の熱気を肌で感じたうえで少しは真剣に考えて欲しいものだ。僕はこの点では、大塚英志氏とまったく同じ怒りを感じる。
ちなみに、僕が「ファウスト」を支持するのは、こっちのほうがいまの文芸誌よりも文学的可能性がある、と本気で信じているからだ。第2号からは目次がますます豪華になってくるようだが、10代の読者だけにターゲットを絞った、単なる作家キャラ萌え小説誌になったら、僕は存在価値がないのでただちに連載を取りやめる。そういう点で、僕が第3部で冗談ばかり言っていたのは、いま思えばよくなかったかもしれない。でもマジメな話をする雰囲気にもならなかった。辛口だけど、以上が僕の感想。はてなでは違うキャラになっているが、僕はもともと辛辣な評論家として知られているのだ。