ディケイド2

日曜日のブログに、『仮面ライダーディケイド』第21話「歩く完全ライダー図鑑」の話をちょっと書きました。
じつはあれ以来、ディケイドがコンプリート・フォームに初めて変身して闘う3分間ほどの映像を、仕事のあいまに取り憑かれたように見続けています。自分でもバカげていると思うけど、どうしても見てしまう。この3分間では、なにか決定的なことが起きているという予感がします。
ちなみに、ディケイドのコンプリート・フォームというのは、仮面ライダーのカードがじゃばらのように胸に並んでいたりして、普通に悪趣味というかありえないデザインです。また、サブタイトルから明らかなように、ディケイドはそもそもメタ的で批評的な作品でもある。だから東浩紀が好きそうといえば好きそうです。
しかし、問題はそんなことではない。ライダー史がどうとか、ファンサービスがどうとかいう話でもない。ぼくは、というかオタク評論家としてのぼくは、いままでずっと「大衆文化が無意識のうちに理論的に正しすぎる作品を産み出してしまった瞬間」に惹かれて仕事をしてきました。そんなぼくの勘が、かつてエヴァンゲリオンを見たとき、またKEYのゲームに接したときと同じ質のものをここに感じている。これはなにか事件が起きているのではないか。
……とかなんとか、こういうことを書くとぼくはつねにオタクにバカにされるのだけど(そしてその理由もわかるけどw)、それはエヴァのときも美少女ゲームのときもそうだったので、もう慣れています。ここ数日のぼくは、このディケイドの3分間に匹敵する批評はどういうものなのか、淡々と考え続けていました。
とにもかくにも、この映像に接するまえの段階で、仮面ライダーにあるていど詳しくなっていたのはラッキーでした。
ぼくはいま『アギト』『龍騎』『ファイズ』『電王』はすべて見終わり、『キバ』も後半に入っています。『キバ』終了後は『響鬼』でしょうか。